タナランブログ

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『彼女が担った僕たちの傷』

2009.02.09 Monday | -

友人のみぃこは、僕のとなりで竹刀を握りしめる。
大好きだった景吾くんを親友のルミちゃんにとられたからだ。
僕はいきさつなんかは全く知らないけれど、普段どちらかといえばおっとりした性格の彼女が、ここまで感情的になっているところをみると、それは相当に彼女にとっては理不尽きわまりない出来事だったみたいで。
夕日の傾く校庭を、景吾くんと手をとりあって、跳ねるみたいにはしゃぎながら、眩しいくらいの笑顔をして、僕の脇をバイバイと手を振って通り過ぎていった、そんな彼女の後ろ姿を見送ったのは、つい先週のこと。
今はもう、その時の笑顔なんて、影も形もなくなって。
こうして僕のとなりで、竹刀なんてものを握りしめている。
竹刀って、本当に竹の匂いがするんだね、なんて呟きながら。
ちなみにその竹刀っていうのは、僕の兄が中学の体育の授業で強制購入させられたってもので、埃をかぶって押入れの肥やしになってたそれを、みぃこが、これだ、と引きずり出してきたのだ。僕の部屋にウエットティッシュなんて気のきいたものはないから、仕方ないなあ、なんてブツブツ云いながら、夏の名残だかそれとも女の子の身だしなみアイテムの一つなんだか、みぃこは鞄からビオレのさらさらパウダーシートを取り出して、埃をきれいに拭った。
そうしてみぃこは云う。憎しみに煮えたぎる横顔を、栗色の柔らかな髪の向こうに隠して。
「金属バットじゃ打撃時に鉄が衝撃を必要以上に吸収してしまいそうで、竹刀なら撲った感が適度に得られそうじゃない?」
本当ならグーで撲ってやればいいんだろうけど、生まれてこのかた、人なんて撲ったことないし、怒りピーク時に、的を外さず討ち果たせるかって不安だし、グーって正直、私自身が痛そうな気がするし。
坦々とそんなふうに話すみぃこの隣で、僕はときたら、マンU対チェルシー戦の再放送を見ながらあくび交じりに、そうだね、なんて云っちゃえるくらいにはお気楽だ。
だって僕は知っている。
みぃこの竹刀は、ただのポーズに過ぎなくて、彼女が今話しているのは、一種のパフォーマンスみたいなものだから。
標的を目前にして、例えば指揮を高めてるみたいな、そんな感じ。
そして彼女が果たしたい事は、例えば力任せの暴力一辺倒な破壊行動みたいな類のものなんかじゃもちろんなくて、彼女の身に起きた理不尽な出来事に対する怒りを、彼女は泣き寝入りするのじゃなく(今のところは)、彼女なりの正当性でもって怒りを対象にきちんとぶつけたいのだって事で。
そうして、彼女が吐き出したい怒りに、本当は竹刀なんて必要ないことも、僕はもちろん分かってる。
彼女の思いは、言葉になって溢れるだろう。
それはきっと音楽みたいに、ある種の響きをもって。
だから僕は、さっきからと同じスタンスで、そうは云いつつ無性に破壊衝動に駆られるのだろうか時々不敵にさえ笑うみぃこの隣で、あぐらをかいて、ゲーム序盤のパクの先制ゴールにため息なんかを一つ。
仰いだ空は、淡くて、どこか甘ったるい気配を含んだ薄水色。牛乳と砂糖を混ぜて薄めちゃいましたみたいな、そんな薄さ、そんな淡さ。その淡さは僕にみぃこの肌の色(もしくは肌そのもの)を想像させて、隣で友人Aがこんな不埒なことを考えてるだなんてみぃこは露ほども思ってないんだろうなと、その点においては若干の罪悪感を感じたりしながら。
そうして、みぃこの髪に隠れた横顔のその奥に、彼女の本物の狂気が潜んでいるかもしれない可能性には、僕は気付かない振りをして。


********


生物として他者を圧倒してみたいだとかいう衝動、常に本質として僕たちの根底に存在している、力へと回帰していく本能みたいなもの。

一方で そういった攻性に満ちた力に依った何かでは、破壊するばかりで、疲れるばかりで、時には、いや、あるいは多くの場合、物事は決定的には解決しないということを、人として生まれて獲得したモノがそう告げるのに、それすらも覆い隠してしまう激しい感情が、あるいは、時として力に任せることもまた必要なのだという行き場のない判断が、例えばみぃこのように、彼女の華奢で白く頼りない手に似つかわしくもない、ギリギリと音が聞こえてきそうなくらいの握りこぶしすら作らせる。

果たしてじゃあ、その痛々しいこぶしや竹刀で、みぃこと景吾くんとルミちゃんの三人の物語を破壊した後、みぃこに何が残るんだろう。

他者を圧倒する存在になり得た時、果たして僕らは何を獲得するんだろう。
あるいは何を失うんだろう。
壊して始めて到達できるかもしれない感覚のために、みぃこは竹刀を振り下ろそうとしているんだろうか。
みぃこが何を得て、何を失おうとも、そんなみぃこの思いとは無関係に、僕の望みっていえば、みぃこを抱きしめて、例えばコメディ映画なんて見ながら、ぎゃはぎゃは笑っていたいだけ、みたいなものなのに。


みぃこの怒りは手に取るように伝わってくるし、踏みにじられた怒りを当人にぶつけて何が悪いんだっていう彼女の気持ちも分かるし、でも、みぃこの内に潜む狂気はちょっと怖いし。
そして、今は怒りにばかり駆られて動物みたいに毛を逆立てて、力をみなぎらせてフーフー云ってるみぃこの、その本当の奥底には傷ついた哀しみが泉のように静かに横たわっていて、だからそれを思うと僕は胸が締め付けられるみたいに哀しくなって。
そうして、動物的で直感的で感情的で、とても衝動的なものと、人間的で、理性的な、知性に基づいた、冷静で、客観視された、あるいは諦めのようなものと、それらすべてを今は覆いつくしてしまっている破壊衝動とのあらゆる感情と葛藤が混在して飽和状態でぐちゃぐちゃになってるそんな狭間で、大きく揺らいで揺れてるみぃこが、僕にはたまらなく愛おしく、美しくさえ思えるのは、僕が少なからず、世界を愛せている証拠だと思いたい。

                  『彼女が担った僕たちの傷』ha*co

IMGP1612.jpg
この文章はターンアラウンドのスタッフのha*coが書いたもの。
俺が展覧会の前に作品のコンセプトだけ提示してそれを元に書いてもらった文章。

この文章を展覧会前に数回読んだ。
でも今考えるといろいろな意味で至極客観的に読んでいたんだと思う。(読まざるを得なかった)

そして展覧会がはじまって作品全体を自分でも始めて見た後にこの文章を読み返してみると、これほどまでに作品とこの文章が繋がっていることに気づきびっくりした。
そしてそのときの思いがギャラリイKの宇留野さんが僕の展覧会に対して書いてくれた文章に繋がった。
まさしくその通りで僕の言葉なんていらなくなってしまった(笑)




「柔らかで、ささやかで、どこにも届かずに消えてしまおうとも、でも抵抗は続ける。何かを叫びながらも見せるためらいや優しさ、日本という場所に生きる私たちのリアリティー・・・」       ギャラリイK宇留野氏


「みぃこは景吾くんの隣で竹刀を握りしめているが、そこにみぃこは実存しない。
しかしここで発せられている言葉は景吾くんの言葉ではない。
みぃこの言葉である。
そしてこの世に存在し続けているのはルミである。
ルミは僕たちの存在を気づいていない。
みぃこと景吾くんはこの世の中で生きる僕らの武器であり運命共同体である。」   キンヤ

そう、これが僕らのレアリティー。



この素晴らしい文章を書いてくれたTurnaroundのha*coとギャラリイKの宇留野氏。
本当にありがとうございます。