
タイトル | 青野文昭展 髑髏杯 |
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アーティスト | 青野文昭 |
会期 | 2011.05.10~2011.05.29 |
ライブイベント | 会期中ギャラリー内において、青野文昭による「ライブイベント・公開修復合体」 |
青野文昭展 髑髏杯
侵入した片方が、侵入された片方のほとんどを、自身の固有性で染め上げてしまう。最初からなかったかのように、片方が圧殺され、乗っ取られる。つなぎ目、縁のズレ、質感の差異、上塗り部分、などの微妙な痕跡により、圧殺された片方の断片の存在が生き続ける。そのことによって、乗っ取りの事実、過程がネガティブにその全体像へ刻印される。やはりここでも、当初劣勢だった方が、優勢な側に侵入して行く場合がより望ましい。(青野文昭氏HPより抜粋)
青野氏のシリーズタイトルでもある「なおす・代用・合体・乗っ取り」は、何でもないモノの2つの破片・断片を「なおし、代用し、合体させ、乗っ取って」いく。
「なおす・代用・合体・乗っ取り」していくその異質の2片は一歩間違うと崩れてしまいそうな、お互いが喰い尽くしてしまいそうな危ういギリギリのバランスで成立っている。
アートにはバランスが大事だ。しかしそれは均整の取れたおさまりの良いバランスではない。
バランスのとれたアンバランスとでも言うのだろうか。このアンバランスこそが緊張感を生み時間さえ支配してしまう。青野氏はこの絶妙なアンバランス感覚を持ち合わせている数少ないアーティストである。空気、時間、そして私たちをも「なおす、代用、合体、乗っ取り」していく彼の作品は絶えず息をし「今」を刻んでいる。青野氏の世界に侵食された私たちは「今」なにが見えるだろうか。
ライター:関本欣哉